祭とヒラノの行動

 今週から山鉾も建つので老若男女町衆の気分は上々です。

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銀行も浴衣で仕事

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道行く人は車輪のデカさをパシャリとテンションが上がる。

この祇園祭は一ヶ月の間行われます。↓大まかな予定

  • 7月1日 – 吉符入(きっぷいり)。祭りの始まり。
  • 7月2日 – くじ取り式。7月7日 – 綾傘鉾稚児社参。
  • 7月10日 – お迎え提灯。
  • 7月10日 – 神輿洗い。
  • 7月10日から13日まで -山建て鉾建て。分解収納されていた山・鉾を組み上げ、懸装を施す。
  • 7月13日 – 長刀鉾稚児社参(午前)。
  • 7月13日 – 久世駒形稚児社参(午後)。
  • 7月14日 – 宵々々山。(この日から16日宵山の深夜まで出店・夜店が立ち並ぶ)
  • 7月15日 – 宵々山。
  • 7月16日 – 宵山。14〜16日をまとめて「宵山」と総称することもある。
  • 7月16日 – 宵宮神賑奉納神事。
  • 7月17日 – 山鉾巡行。
  • 7月17日 – 神幸祭(神輿渡御)。
  • 7月24日 – 花傘巡行。元々、この日に行われていた後祭の代わりに始められたもの。
  • 7月24日 – 還幸祭(神輿渡御)。
  • 7月28日 – 神輿洗い。
  • 7月31日 – 疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしまつり)。祭りの終わり
  • その間に二階囃子や曳き初め、無言参り、日和神楽、あばれ観音、屏風祭などなど色々とやっています。

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    そんな豪華絢爛な祇園祭ですが、元は疫病を治める為のお祭↓ ↓

    疫病の流行により朝廷は863年貞観5年)神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行った。しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り御霊会を行って無病息災を祈念した。869年(貞観11年)全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛にに諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来の化身牛頭天王を祀り御霊会を執り行ったのがその起源であるという。祇園祭が生まれた直接の背景は、平安京がもともとが内陸の湿地であったために高温多湿の地域であったこと、建都による人口の集中、上下水道の不備(汚水と飲料水の混合)などにより、瘧(わらわやみ=マラリア)、裳瘡(天然痘)、咳病(インフルエンザ)、赤痢、麻疹などが大流行したこと。その原因が先に大水害により挫折した長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら亡くなった早良親王ら六人の怨霊の仕業との陰陽師らによる権威ある卜占があったこと、などである。さらに、1世紀後の970年安和3年)からは毎年行うようになったとされる。これらの祭式は神仏混淆の儀式として成り立っていた。

     ウィキペディア参照


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    そんな想いで山鉾を尋ねるとまた違った祇園祭が楽しめると思います。

    この季節京都の湿度は70%~90%の蒸し風呂状態ですが、遊びに来ておくれやす。

    祭のヒラノの行動

    14日 その辺ぶらぶらと写真を撮りにいってます

    15日 17:00~18:00まで神前当番(町家にいます) その後はぷらぷらしてます。

    16日 18:00~20:00まで奥さんと一緒に粽売ってます。

    17日 山鉾巡行のお供して、17:00から神輿を23:00ぐらいまで担いでます。

    どこかで見かけたら声を掛けてくださいね

                 おおきに!!

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    親父が北海道、オカンが九州の出身、京都で出会い、私が生まれ京都育ちですが京都人っぽくない沖縄の宮古島が大好きです。沖縄の人とよく間違えられます。

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