先日、いつもお参りに行く神社へ行ったらいつもは開かずの扉が開いていて剣鉾の先が飾られていました。
見てみると1294年 永仁?年。漢字が読めない・・・
今が2016年やから722年前のものです。
想像がつかないぐらい昔のものですね。
これを眺めてるととデジカメ持ってツッカケ履いた怪しげなおっちゃんが話しかけてきて
「これ凄いやろ!?明日、御陵さんの祭りやろ?だから出してあるんやで。あれ見てみぃ。菊の御紋が16枚やあれってな天皇家やねんけど、後ろの蔵あるやろあそこの菊の紋は14枚なんや。なんでかわかるか?あれは宮家の紋やねん。戦後GHQに天皇家が解体されたやろ?もうバラバラや。辛うじて天皇だけが飾りみたいに残ってるけどな、宮家の紋が残ってるはここだけや!」
と捲し立てるように話し始め、私はへ〜。しか言えず。そしておっちゃんの講義は続いて
「下鴨神社あるやろ?あそこも戦後から参拝できるようになったんや。戦前は下々の者は入れへん位の高いところやったんや、今では女性でも入れるやろ。それもGHQがな神道を禁止して、そんなもん信じてるから日本はあかんのやって言われてからなんや。」
まだ話は続いて
「ホンでなこの鉾は祇園祭の鉾と一緒や、あれは町衆の祭りや金持ちが自分たちの権力を象徴するために、あんなデカくなったんや、マンハッタンみたいやろ。それにな今ではまだ女人禁制のとこあるけど、女性も登れるようになったやろ?あれもGHQの命令や戦前の祭りでは女性は不浄と考えられてたからな。今では函谷の女性の囃子方もあるぐらいや(苦笑)それとな知ってるか?月鉾が1回だけ立ててる最中に倒れたんや。あれは確か40年前ぐらいかな?あれな儂の推測やけど、意図的なもんやと思ってる。今まで女人禁制でやってきて、町衆の誰かがやってられるかって倒したんちゃうかなおもてんねん。」
へ〜としか言えず、誰やこの人は京大の先生か?とか考えて大学で研究とかしたはるんですかって聞いたら
「いや、ただの趣味や!」
いろんな趣味の人もいるもんやな〜と思いましたよ。
京都も奥深い街です。