ふと思うこと。

昨日、iPhoneが壊れて修理に出して、無料で新しいのに交換してもらえた。

2年使ってまた新しいくなってラッキーかなと思っていたら、そのあとの設定がめんどくさいのなんの・・・。

仕事で使ってたアプリも使えなくなって、なぜかiPadのLINEが使えなくなって・・・。

機械音痴は大変です。

昨日、Yahoo!ニュースをみてたら、懐かしい記事を思い出しました。

数年前に和歌山県の那智の瀧をクライミングで登った方の記事。

昔にこの記事を見たときに凄い人も居るんやな〜と思ったぐらいでしたが、滝に打たれるようになってちょっと違う感情というか昔とはちょっと違う考えになったな〜と。

数回見にいったことあるけど、あれを登ろうとか思うんですねクライマーの人って。

今の私なら 了解が取れるなら文覚上人の伝説が残っているので滝に入ってその滝に何をみたのかなど考えてしまって打たれてみたいと思いますが(笑)

そのかたは無許可で登って見つかってそれでスッゲー怒られて、スポンサー契約も打ち切られて大変やったと書いてありました。

他の記事にもその方を嘘の記事やえらいバッシングしている人たちもいたりして大変やったんやなと思います。

まぁ御神体になっている滝やし登るのはどうかと思いますが、クライマーという特殊な人たちには登ることが自然に対する尊敬や畏敬の念なのかな。

そうちゃう人もいるとは思うけど。

滝も別に自然にそこにあって誰のものでもないし、山が好きな人って山や自然に対してのリスペクトはめちゃ持たれていて、登っていいんちゃう?となった的なことを書かれてました。

その感覚は間違ってはないと思うけど、その那智の滝って他の自然崇拝の場所もそうやけど、昔から色んな人の信仰の対象になってて、神仏の対象になって居るってことが多分どっか抜けてたんでしょうね。

山や自然に対しては同じ敬虔を抱いている。みたいな。

例えば御嶽山、富士山や三輪山とか山が御神体でもみんな登ったりしてるし、それでも山に行くと信仰として登って居る人も一杯いて、大切にしてるからただ遊び半分で登って山を汚したりする人をみると怒られるし、汚すっちゅう行為自体やったあかんことやし、その信仰を汚したりするのも一番あかんこと。

自然に対しての畏敬の念、信仰に対しての畏敬の念。

一緒のようで違ってるようで、でもお互いにやらないとあかんことは山であろうと滝であろうと神仏でも、そこに思いを馳せて居る人がいて、その人の何かを踏みにじるような行為かどうかは判断せなあかんと思う。

私が修行で滝に入らせてもらっている滝も作法を教えてくれた爺ちゃんがいる滝も護摩堂も信仰の場としてあるけど、たまに遊び半分で入りに来る人たちもいたりして、遊び半分な様子をSNSとかであげてる人もいたりでそれをみると残念やな〜と思ってしまう。

滝に関していえば、最近は興味本位で滝に打たれたいって人も多くて、昔、私が御嶽山で初めて滝に打たれていても立ってもいられなくて(笑)その2ヶ月後には導師の爺ちゃんと出会えました。

ほんでちょっとたったら、同業の先生が「滝に打たれたいんです。でもなんちゃらかんちゃら」ってピーチクパーチクグダグダいうてるから自分が気持ちがいいだけのマスターベーションみたいな滝行なら銭湯の打たせ湯で十分。

そんなことを言うてたとおもう。

山に行くのにも山登りでもクライミングするにもそれなりに準備もいるし、練習もいるやろうし、軽装備で行けば危険やし追い返されるとおもう。

それは滝も一緒で導師について作法を教えてもらう必要があるし(私の場合は週2回4ヶ月ほど通ってようやく1人で滝に入れるようになりました。)、お経も真言も覚えなあかんし、まず師を見つけて続けないと意味がないし、真冬なんて危険を伴うから軽い気持ちではちょっと無理やでってことを昔にその先生にいうた記憶がある。

山に登ろうが滝に打たれようがまずは気持ちいいとは別にそれなりの想いがないとあかんのかな。

ただただ自分が気持ちよくなるだけの行為は何も生まれへんのかな。

昔の人は自然に何を見て、何を求め、何を見出したのか。

それはどれも一緒なんやろな。

なんてことを考えてLineが繋がらない携帯の修理待ち時間に暇やったんで現実逃避をしてました(笑)

でもまぁこういう失敗から学んだ記事をみると傲慢にならずに改めてちゃんとせなあかんっすね。

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親父が北海道、オカンが九州の出身、京都で出会い、私が生まれ京都育ちですが京都人っぽくない沖縄の宮古島が大好きです。沖縄の人とよく間違えられます。